思想の冒険家たち/森本哲郎

お前の哲学の目的はなにか?それは、ハエにガラスのハエとりつぼから脱出する出口を示してやることだ。ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』

ゲルマンは森の民なのだ。それに対して、地中海世界に住むラテン人たちは、本質的に異なる文化を持つ。オルテガはその違いを、よくいわれるように、「暗」と「明」の相違とすることに同意せず、前者を「深層的現実の文化」、後者を「表層的現実の文化」としてとらえようとする。そして、これこそがヨーロッパ文化全体の二つの異なる次元だと考える。それは別言すれば、思索型と感覚型といってもよい。

ジャワーハルラール「恐怖が虚偽と切り離せない道連れであるように、真理と恐れぬことはつきものである。」

「宗教とは存在の断片的な変わりやすい出来事に真正な見通しを与えるあらゆるもの」であり、
「永続的な価値を確信するゆえに、個人的な損失の脅威にも屈せず、ひとつの理想的な目的のためにいかなる障害をも乗り越えようとしてなされる活動は、すべて、その性質において宗教的である」J・デューイ

「起床、電車、会社や工場での四時間、食事、電車、四時間の仕事、食事、睡眠、同じリズムで流れてゆく月、火、水、木、金、土・・・・・・」
「ところがある日、《なぜ》という問いが頭をもたげる。すると、驚きの色に染められたこの倦怠のなかですべてが始まる。《はじまる》これが重大なのだ」
『シーシュポスの神話』カミュ

人間が生まれるということは、全体から個が分離することであり、神から離脱することだからだ。それは、とうぜん苦悩に満ちた生を意味する。したがって、その苦を克服するためには、あらためて、もういちど全体へ復帰しなければならない。すなわち、個体を止揚して、全体を受け入れるほどに魂をひろげるべきなのだ。仏陀が歩んだのは、その道だった、と彼(ヘッセ)はいう。

青春とはひたすらアイデンティティを求める時期である(エリクソン)

「失われた世代だって。それはいったい、どういう世代のことなのか。どんな世代でも何かによって何かを失った世代ではないか。これまでもずっとそうだったし、これからもずっとそうだろう――と彼は考えた。いい加減なレッテルを貼られるのは真っ平だ」『移動祝祭日』ヘミングウェイ

「人は人間の働きをしてみて、はじめて人間の苦悩を知る」テグジュペリ

「いいか――この世で最も強い人間とは、ただ独りで立つ者である」
「真理と自由とのもっとも危険な敵は、かの堅実なる多数、よいか、この呪うべき、堅実なる、ぐうたらな多数である。……多数が正義を有することは決してない。断じてないのだ!これこそあまねく瀰漫した社会的虚偽の一つであって、これに対しては一箇の自由な思考する人間は反逆せざるをえないのである。……正義とはつねに少数の所有するところのものなのだ」『民衆の敵』イプセン

「文明は文化の不可避的な運命である。……文明とは人間が特有な仕方でつくりだす外的な人工的な状態であり、それはひとつの終末にほかならない。文明とは生成が到達する仕上がったものであり、生のあとにくる死であり、発育がもたらす凝固であり、またドリス様式とゴシック様式が示しているように、若々しい魂の幼年期がやがて迎える知的老年期であり、田園がついにたどりつく石でかためられた世界都市である。」シュペングラー

創作とは何か。それは障害を独房に監禁された囚人が、おなじ境遇の囚人にむかって、自己の監房から呼びかける悲鳴だ。テネシー・ウィリアムズ


ブルクハルトは古代ギリシャにその自由と中庸を見たのである。ただ見たのではない。ブルクハルトはそれをそのまま実践し、享楽的な生活も、政治的な野望も、いっさい投げ捨てて、アタラクシア(こころの平安)の道を選んだ。彼は一生独身で通し、また精神の自由を束縛するようなどんな職務にもつかなかった。

より美しい世界を求める願いは、いつの時代にも、遠い目標を目指して三つの道を見出してきた。第一の満ちは俗世を放棄し、美しい世界はただ彼岸にあると信じて、その神の国へ至ろうとする道である。それに対して第二の道は現実の世界を改良し、完成させることをめざす道であり、人々がこの道のあることに気づいたのは、ようやく十八世紀に入ってからのことだった。第三の道とは、夢見る道、すなわち現実の生活の形を、美しい「芸術の形に作りかえる」というそのような道である。それは、「芸術作品のなかに、美の道が表現されるというだけのことではなく、生活そのものを、美をもって高め、社会そのものを、遊びとかたちで満たそうとする」生き方。

ホイジンガ『中世の秋』

仙台の医学専門学校に留学中、講義の合間に見せられたニュース映画が魯迅にとって作家の道を選ぶきっかけとなった。日露戦争のニュースを撮した画面のなかに、ロシア軍のスパイを働いたかどで処刑される一人の中国人を取り囲んで、まるでお祭り騒ぎのように見物の人垣をつくっているのもまた中国人たちなのであった。そのフィルムを見せられるや、魯迅は「この学年が終わらぬうちに」学校を中退して東京へ出てしまう。彼はこう記している。
「あのことがあって以来、私は、医学など少しも大切なことでない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がどんなに健全で、どんなに長生きしようとも、せいぜい無意味な見せしめの材料と、その見物人になるだけではないか。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまでいえぬのだ。されば、われわれの最初になすべき任務は、彼らの精神を改造するにある。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むしろ文芸が第一だった。」魯迅


我々の生きるのは生によってなのであって、機械や理想によってではない。そして生とは我々衷心のレアリティである生きた自発的の魂にほかならぬのだ。自発的な、生きた、個体の魂、これこそ生の鍵なのであり、これ以外にかぎはないのだ。自余はすべて派生的なものである。『無意識の幻想』ロレンス

西田幾多郎は谷崎潤一郎の「春琴抄」を読んで、「何しろ人生いかに生くべきかに触れていないからね」と一言言ったとか。

思想と体験を欠き、社会性を自覚せずして小説を書こうとする以上、作家は自己の私生活を語るよりほかなくなり、私小説が生まれる。しかしその作家の個我は、社会と対決せんとするていの強烈なものではもとよりなく、したがって人生いかに生くべくかのごとき問題性を含まぬのであるから、これを作品として成立せしめるためには、「この一筋」に生きて自己をいよいよ狭め、その圧縮凝固作用から発する一種の美的エネルギーを利し、これを文章の技巧によって飾る以外に道はなくなる……。「日本現代小説の弱点」桑原武夫