ユング/夢分析論


夢分析の臨床使用の可能性

夢とは抑圧された願望充足に過ぎないとする見方は、とうの昔に時代遅れとなった観点です。……夢は、容赦のない真実や、哲学的な箴言、幻想、奔放なファンタジー、記憶、計画、予期、さらにはテレパシー的なヴィジョンや非合理的な経験、あるいはその他の神のみぞ知るというようなものでさえあります。私たちの生のおおよそ半分は程度の差こそあれ無意識的な状態で過ぎていくということを、忘れてはなりません。夢とは、無意識の特殊な現れなのです。こころには日中の側面、すなわち意識があるのと同じように、夜の側面があります。

無意識とは悪魔のような怪物ではなく、モラル的にも、美的にも、知的にも中立的な自然の性質です。それが本当に危険なものになるのは、無意識に対する私たちの意識的態度がどうしようもないくらい間違っている時だけです。私たちが抑圧しようとすればするほど、無意識の危険性は増していきます。しかし、患者がそれまで無意識であった内容を同化することを始めたその瞬間に、無意識の危険性も減っていくのです。

ご存知の通り、人はよく自分自身の死に関する夢を見ますが、それはたいして問題のあることではありません。死が本当に問題であるならば、夢は別の言語で語ります。


夢心理学概論

カント:理解するということは私たちの意図に対して十分な量を認識するということにほかならない。

(狭い意味でのフロイト学派は)極端な例を挙げれば夢の中の縦長のものはほとんどすべてファルスの象徴であり、丸いものや穴の開いたものはすべて女性器の象徴だと説明するに至ってしまっている。

分別を見失ってしまうほど何かに怒りを感じている時、私たちは自分の怒りの原因が何もかも外側に、すなわち怒りの相手となる物事や誰かの中にあると見なさずにはいられなくなってしまう。つまり私たちは、自分を怒りの状態に、あるいは時と場合によっては睡眠障害や消化不良にも陥らせることのできる力がそうした物事にはある、と信じ込んでしまうのだ。だからこそ恥知らずにも平気な顔をして衝突相手のことを非難するのだが、そうすることで私たちは怒りの対象の中に投影された自分自身の無意識の部分に対して罵詈雑言を浴びせてしまっているのである。
このような投影は無数に存在するが、その一部は好都合なものだ。すなわちリビドーの架け橋として軽減させる作用を持つ。投影の一部は不都合なものだが、実際にはそれが障害として問題となることはない。たいていの場合、不都合な投影は親しい人間関係の輪の外側に住みついているからだ。ただし、神経症患者は例外である。神経症患者は意識的にせよ無意識的にせよ一番身近な環境と強力な関係を持つので、不都合な投影が一番身近な対象に流れ込んでしまうことも、そしてそれによって葛藤を生じさせてしまうことも阻止できないのだ。したがって神経症患者は――治療を臨むのであれば――正常な人がそうするのよりもはるかに高い水準で、自身のプリミティヴな投影を見抜いていかなければならないのである。もちろん、正常な人も同じように投影を行うが、それをよりよく分割している。好都合な投影にとって対象は近くに、不都合な投影にとって対象はずっと遠くにある。

たとえば自分の子どもたちやその他の「魂ある」対象のことを、自分自身の心を扱うのと同じようにして扱うプリミティヴな人々だ。彼らは子どもたちや対象のこころを害するようなことをしてしまうのではないかという不安が原因で、あえて何もしないのである。そのため、子どもたちは思春期に到るまで可能な限り教育されないままでおかれる。そして思春期になると突然、あとになってからの教育が始まるのだ(イニシエーション)。それが残酷なものであることも多い。(後述:イニシエーションの際、若者たちは神、神々、あるいは「始祖」の動物が何を為したのか、世界や人はどのようにして創られたのか、世界の終末はどのようになるのか、市の意味とは何か、などといったことを学んでいく)

モラルという決まり事も、神という概念も、いずれの宗教も、外側から、いわば天から人間のもとに舞い降りてきたものではない。人間はみな自らの核心の部分にそれを持っており、それゆえ自分自身の側からもそれを創造していくのだ。

「精神疾患とは脳の疾患である」というドグマは、1870年代の唯物論の遺物だ。このドグマはどこからも正当な根拠を与えられることのない偏見となり、この偏見こそがあらゆる進歩を妨げているのである。

夢の本質について

無意識は夢だけでなく、心因性症状のマトリクスでもある。……無意識は、私や他の誰かが私の意識的態度を正しいものと感じているかどうかなどということにはまったく気を払うことがないので、無意識がいわば「違う意見を持っている」ということもありうる。無意識がしばしば重大な失錯行為を通じて多種多様の厄介な障害の原因となったり、神経症症状を生み出したりする力を持つものである以上、このことは――特に神経症の事例において――些細な問題ではない。このような障害は「意識的」と「無意識的」の不一致に起因するものなのだ。「正常な状態ならば」この一致が存在していなければならないはずだ。しかし実際にはこの一致は存在しないことの方が非常に多く、これこそが深刻な自己や病気から害のない言い間違いにまで及ぶ心因性の不調が予想以上に多いことの理由なのである。こうした関係について注意が促されるようになったことは、フロイトの功績である。……神経症の治療には「意識的」と「無意識的」との間の調和を再確立に近づけるという課題が存在する。周知の通り、このことは「自然な生き方」に始まり、理性のすすめ、意志の強化、そして「無意識の分析」にまで及ぶ、さまざまな方法でなされうる。


象徴と夢解釈
ブロイアーとフロイトは神経症症状には意味があり、特定の考えを表現するという点では理にかなっている、と見抜いた。別の言葉で言うと、神経症症状は夢と同じ方法で機能するもの、すなわち象徴化するものなのである。たとえばこういったことだ。耐え難い状況に直面している患者が、何かを飲み込もうとするときに必ず痙攣を起こす。「彼はそれを飲み込むことができないのだ」。同じような状況のもとにある別の患者は喘息の発作を起こす。「彼は息苦しい思いをしているのだ」。またある人は両足の奇妙な麻痺に悩まされている。「彼はもうこれ以上勧めないのだ」。さらにまた別の患者は食べたものをすべて吐き出してしまう。「彼はそれを消化できないのだ」。彼らはみなそれと同じような夢を見るかもしれない。


私が東アフリカにおいてプリミティヴな部族のもとでフィールドワークを行っていたとき、驚きをもって発見したのは、彼らが「夢をみることはない」と言うことだった。しかし、辛抱強く遠回しな会話をすることによって、すぐに次のことに気がついた。彼らは他の人々と同じようにちゃんと夢を観ているが、自分の夢には何の意味もないと考えているのである。彼らは言う。「普通の人の夢は何の意味も持たない」。重要な夢は首長や呪術医が見た部族の繁栄に関わる夢だけだった。このような夢はとても大切に扱われる。唯一の問題は、首長も呪術医も「イギリス人たちがこの国にやってきてからは」もう夢を見ていないということだった。地方行政官が「大きな夢」の機能を奪い去ってしまったのである。

無意識的な心が存在するということでさえ、非常に多くの科学者や哲学者によって否定されている。彼らがよく用いるのは、無意識的な心などというものが存在するとすれば、個人の中に一つではなく二つの主体があるということになってしまう、というナイーヴな議論だ。しかし、まさにその通りなのである。パーソナリティは一つのまとまりだと考えられているが、そうではないのだ。……苦境の只中にいるのは、けっして神経症患者だけではないのだ。このことは最近になって発展してきたことでもなければ、キリスト教的なモラルのせいにしてよいものでもない。それは反対に、全人類の遺産である全般的な無意識の兆候なのである。

神経症患者の行動をよく見てみれば、患者が一見したところでは意識的で目的があるかのように見える行為をしていることに気付かされるだろう。しかしそれについて尋ねてみると、驚いたことに患者はその行為についてまったく無意識であるか、あるいはまったく別の捉え方をしているのである。彼は聞いているが、それと同時に聞こえていないのだ。彼は見ているが、それと同時に見えていないのだ。彼は知っているが、それと同時に知らないのだ。こうした多くの観察から専門家たちが確信したのは、無意識的内容とはまるでそれらが意識的内容であるかのように振る舞うものだということ、そしてある思考が、発言が、行為が、意識的なものなのか、それともそうではないのかは、はっきりとはわからない、ということだった。

神経症的な現象とは病理的に誇張された正常な出来事であり、それゆえにそれに相当する正常な出来事以上に明白なものなのである。

たいていの人が考える以上に、無意識のメッセージは重要である。意識はありとあらゆる外的な誘惑や妨害に曝されており、それゆえ簡単に道を逸らされ、その人の個性に見合わないような道を辿るよう唆されてしまう。夢の全般的機能とは、補充的もしくは補償的な内容を産みだすことによって、精神的平衡におけるこうした問題のバランスをとる、ということなのだ。

いみじくもファウストはこう述べている。「はじめに行為ありき」。行為とはけっして発明されたものではなく、なされたものなのだ。一方、思考の方は比較的遅い発見である。思考は発見されたもの、つまり追い求められて発見されたものである。しかし、内省を持たない生は人間よりもはるか以前から存在していた。それは発明されたものではなく、人間が後になってその中で自らを見出したのである。人間はまず無意識的要因によって行為へと駆り立てられ、そしてそれから長い時間が立ってからようやく自らを駆り立ててきた原因について内省をし始めたのだ。自分を駆り立ててきたのは自分自身に違いないなどという奇妙な観念に人間が達するまでには、それから非常に長い年月が必要だった――人間の精神は自分自身以外の動機づけの力を見て取ることができなくなってしまっているのである。植物や動物が自らを発明するなどという考えのことを、私たちは笑い飛ばすはずだ。ところが心や精神がそれ自体を発明し、それ自体に存在を与えたなどと考える人は数多く存在する。実際には、どんぐりがオークの木に育つように、あるいは爬虫類が哺乳類へと進化したのと同じように、精神とは現在のような意識の状態へと成長してきたものなのである。精神とはこれまでそのような存在だったのであり、そして現在でもそれは変わらない。つまり私たちは外側からの力と同じくらい、内側からの力によって駆り立てられているのである。


「意志あるところに道は開ける」というモットーはゲルマン的な偏見であるだけではなく、現代人一般が持つ迷信なのだ。自らの信条を保つために、現代人は際立った内省の欠如を育んでいる。あらゆる合理性と効率性をもってしても、自分のコントロールを超えた力に自らが支配されているという事実に、現代人はまったく気がついていない。神々や悪魔たちはけっして消え去ったわけではなく、新たな名を得ただけなのだ。それは落ち着きの無さ、索漠とした心配、心理的な困惑、薬物、煙草、健康食やその他の健康法への克服しがたい欲求――そしてとりわけ印象的なまでにずらりと並んだ神経症――をもって、現代人を走らせ続けているのである。

マクベス「人生はただ、うろつき回る影法師、あわれな役者。出番のあいだは舞台の上で大見得を切り、がなり立てても、芝居が終わればもう何の音も聞こえぬ。能無しの語る物語。響きと怒りばかりはすさまじいが、意味するところは無だ」

明らかに人間には、自分の生に意味を与え、世界の中に居場所を見出すことを可能にしてくれる、一般的な観念や確信が必要なのである。意味があると確信しているときであれば、途方も無いほどの困難にも耐えられる。しかし、あらゆる不幸に加えて、自分が「能無しの語る物語」の一役を担っていると認めざるをえないとき、人は押しつぶされてしまうものなのだ。

私たちは自然を支配しているなどと自惚れているが、本当は今も変わらず自然の犠牲者なのである。そして私たちは、少しずつ、ただし避けようもない形で破滅を招いている、自分自身の本質natureをコントロールすることさえ学んでいないのだ。

「神はかつての時代には人々の前によくその姿を見せていたのに、なぜ今日では神を見た人がもはやいないのか」ラビいわく、「それほど低く身を屈めて歩む人は、今日では存在しない」

はじめて出会ったユングに対してフロイトは「転移とは何か」と尋ねる。「それは心理療法のアルファでありオメガである」と答えるユングに、フロイトは「あなたは心理療法のことをよくわかっている」と応じた。二人はその後十時間も話し続けたという。

意識の中心である自我(Ich)に対して、それよりもっとはるかに大きい無意識の中心のことを、ユングは自己(Selbst)と呼ぶ

「変容の象徴」を著した時、フロイトはユングに「頼むから神秘主義にだけは行かないでくれ」と訴えている。

学校・医療・交通の神話/イワン・イリイチ 山本哲士

現代の聖なるコスモスは、個人が”私の領域”に閉じ籠もることを合法化し、個人の主観的”自律性”を聖化する。かくて、必然的に、聖なるコスモスは第一次的公的制度の機能的自律性を補強する。人間存在の主観性を強化し、それに聖なる性質を与えることで、聖なるコスモスは単に社会構造の世俗化を支持するだけでなく、その非人間化をも促進する。」(『見えない宗教』ヤン・スィンゲドー)

<必要>をめぐってイリイチは、歴史上三つの変化があったと、医療を例にして説明している。第一の必要の変化はスルファ剤と抗生物質とともにやってきた注射が簡単で効果あるものになり、薬品が療法により多く使われはじめてきた。そして、どこかが悪いと感じた者は診療所にいき、「疾患」名をふされ「病人」と呼ばれる少数の者になった。第二の必要の変化は、病気が少数から多数者になり、各人の歯、子宮、血圧、心理、労働慣習が観察され、矯正されるようになったときに生じた。専門医師が患者を適切に処方するようになった。多数者のために、専門的処置がなされていく。第三の必要の変化は、専門的処置の多様化にみられる。一つのことに、多様な局面から何人かの専門家たちが動員される。そして、顧客はこのようなチームのアプローチが必要なのだと馴らされる。

<必要>は歴史的には特権的少数者から多数消費者に移り、ついで専門家集団が決定していくものへと転じた。この<必要>の変身の過程で、サービス制度が多数者のために確立されていった。個人がそれを選んでいた段階から、専門家集団がそれを義務的におしつけるものに変化した。今や<必要>が定義されて、それに向かって馴らされるからである。

平田清明は”produce”の本来の意味が「産むということではなくて、訴訟の文書を提出するという意味」であると指摘している。フロー(年々の生産物)ではなく、産出物の帰属関係、分配なのだといっている。

「(消費者となった――訳者)人々は物事を自らなすdoというよりもそれを得ようgetとする。自らが創造しうることではなく、購入されうるものに価値をおくように訓練される。自ら学び、自ら癒し、自分で道を進むよりも、教えられ、動かされ、治療され(取り扱われ)、ガイドされるのを欲する。人格でない諸制度が人格的な機能を割り当てられるのである。」


日本の学校形態は他の先進国と違うし、社会主義や第三世界の諸国とも異なる。それは多様である。しかし、学校で教え学ぶ社会生活を良しとする様式は、支配的にいずこの国であれ貫かれている。教育を学校化する方向で持って制度全体がととのえられようとしている。この学校は歴史的にも、アレクサンダー大王やローマや中世などの学校とも違う、産業社会に特有な学校として描きだされる。つまり、産業社会時代内での形態上の多様性は捨象され、産業社会の歴史通時上の差異が考慮される。自然社会、農耕社会、遊牧、牧畜社会とは異なる「産業社会」が識別されて対象にされている。

現代の制度的配置のもとでは、道具手段がつかわれる三つのタイプの労働が考えられる。
第一は、十分に満足がいくような、想像的で自律的な「働き」workとして通常使われる道具手段。
第二は、「仕事」laborとして示される諸活動で使われる道具手段。
第三に、単に「操作される」operated機械である。そして、車がハイウェイを操作するように教師は子どもたちを学校で操作する。非常に限られた意味でしか、トラック運転手や教師は「仕事する」laborことができない。ましてだれも「働いている」workとは感じられなくなっている。

学校の「影のカリキュラム」(hidden curriculum)を通して人々は、市場における価値、累進的消費の価値、主要な制度が視えない物(教育や健康)まで含んだ価値を生産すること、段階的前進の価値、官僚のために訓練された競争能力、知識ストックの保有者の意味、自己の地位の容認などを学ぶ。



消費商品における定期的革新は、新しいものはよりよい(better)と証明されているのだという信念を育て、現代世界観の統合的一部となっている信念である。市場化された結合は充足よりも欲求を発生させる。新しいモデルはコンスタントに貧困を革新し、消費者は持っている物と得なければならない物との間に新旧の差を覚える。生産物は常により価値あるものとして測定できるよう作られていると信じ、その消費のために自分が再教育されているのを受け入れる。「良い」(good)は、「より良い」(better)を基本的な標準とする信念に置換されている。

アメリカの大学は、世界中でもかつてなかったほどの包摂的な加入儀礼の最終段階となっている。歴史上のいかなる社会もその存続のために儀礼または神話を必要とした。しかし、われわれの社会ほど、非常に退屈で費用のかかるその神話への加入儀礼が必要であった社会はなかった。また、現代文明は、その基本的な加入儀礼を教育の名において合理化する必要を認めた最初の社会である。

「徹底的した根源的(ラディカル)な独占」……第一義的な人間的必要が、消費者の想像力までをも支配しつづけ、まったく制象化された価値を疑うことなく、しかもその制度に依存していれば社会生活がなりたってしまう。

人類史において近代は、「子供時代(childhood)」を発見し、それを普遍的教育(universal education)の名でもって「義務的学校化(compulsory schooling)」した時代である。それは、社会そのものをマクロ的な時代でもって特色づける「学校化の時代(the age of schooling)」を創造した。現象的に、学校教育はいわゆる義務教育の期間だけにとどまっているようにみえるが、自分の個体史のある時期が学校にかぎどめされたということによって、わたしたちは創造もつかないような特異な生活世界におしこめられている。その生活世界は一言でいえば、「産業的に制度化された生活様式」である。

「私の祖母はわたしに教育をえさせたかったので、わたしを学校にはやりませんでした。」マーガレット・ミード

伝統社会の紐帯の下で生活していた人たちは学校にいくことで、伝統的な食べ物や衣服や習慣、さらに言葉まで変えざるをえなくなる。……人々のためと称して、これほどまでに生活スタイルを変えたものは歴史上なかった。

「ひとたび学校が必要だと学ぶと、わたしたちのすべての諸活動が他の個別専門化された諸制度にたいして顧客という関係性の形をとるようになる。」


労働力の消費時間量=労働時間により価値がうみだされるように、学習消費時間量によって価値がうみだされる。それも学習という使用価値がなければ、この価値は生み出されない。この関係性は、まさにマルクス商品論の論理構制である。


制象化=制度化となるのは、技術的=教授学的なレベルが社会的なレベルに転成される二つの次元が対応するパイプで、それを神話が無理なくつなぎあわせている。なんでもない読み書き算を教えることで、無限発展する消費者社会が再生産されているというわけだ。この再生産を支えている神話が、サービス生産のあり方にみられる次のような神話である。
1 「制象化された価値」の神話
2 価値測定の神話
3 価値をパッケージする神話
4 進歩を自己永久化する神話


<影のカリキュラム> 「約30人のグループに或る特定の年齢の者たちが、専門教師の権威の下で年に五〇〇~一〇〇〇回集まる」

わたしたちは、古典的な理論世界における労働の疎外を得る以前に、自分自身の<学び>から自分を疎外している。<学ぶ>ことが必要とされ、学校化の需要に転じられているとき、<育つ>質は専門的な取り扱いによってつけられた<価格表>に変わっている。そして、親しさ、相互交換、生活経験を示していた「知識」は、学校化された社会では専門的にパッケージされた商品、市場化しうる資格、抽象的な価値へと変わってしまっている。

教育は新しい世界宗教になっている。支配階級から軍人、そして労働者階級にまで期待を抱かせる救済の宗教である。世界的宗教は偉大な文化が衰退するときに興ると、歴史家トインビーは指摘したが、現代産業社会の技術科学文明が衰退しつつあるときに、社会の現実と原理との間の矛盾を覆い隠すうえで、学校ほど巧みに働きかける制度はないだろう、とイリイチは言う。「学校は誰にたいしても、そのドアを閉ざす前にもうひとつのチャンスを与える――それは、矯正的な、成人教育、補習教育である。」(DS)

「学校は社会的神話の効果的な創造者・維持者として働く」(DS)

学校が知識者階級をつくりだすのではなく、その社会的可動性をも含めて既存の諸階級を再生産していくのと同様である。

「学校は、儀礼ゲームをプレイできない者、プレイしようとしない者は世界の悪であるという責めを競争者におしつけ、すした国際的ゲームに儀礼的競争を導くのである。学校は、累進的に消費をするという聖なる競争に新参者を導く加入儀礼であり、アカデミックな司祭(専門教師のこと――訳者)が忠実な者と特権・権力の神々との間の対立を調停する和解の儀礼であり、学校のドロップアウト者を未発達(「低開発」の意味をもかけている――訳者)なスケープゴートとして烙印をおし、生贄にささげる贖罪の儀礼である。」(DS)

刑務所は、治療的、矯正的で、同情をかもすイメージを装っている。かつて、それは獄舎に閉じこめること自体が目的であったが、現在では囚人の性格や行動を矯正するのに有効であるという目的をもって、社会の不同調者までをも犯罪人にしたてあげている。それは、精神病院、療養院、孤児院と同様の役割をもち、学校も同じものとなっている。


学校の操縦的性格にたいするイリイチの批判は容赦のないものである。
人々が成長し学習しようとする自然な傾向を、教えられることを要求するように転化する。他人によって成長させてもらおうとする依存は、製造された商品を求めるよりはるかに自発的活動の意欲を放棄させる。この自律的成長の責任の放棄は一種の精神的自殺である。
・特権を与えられた卒業生が税金を納める全公衆に馬乗りになっている。
・学校の中途退学者は学校にかわる別の途をとることができない。
・自動車の使用は法律で強制されないが、学校に通うことはすべての者に法律で義務づけられている。


管理社会化
①物をつくること。
②儀礼的なルールをつくること。
③執行されることが真理であるというイデオロギー、あるいは命令をつくること――そして、修正すること。それは生産物に帰属されるべき現行の価値を正当化するものである。
そして、テクノロジーがビューロクラシーの権力の増大を提供していく。

未開人にとって世界は、<運命><事実><必然性>によって統治されていたが、プロメテウスは「事実を問題にかえ、必然性を疑いうるとし、運命に反抗した」。それによって古典時代の人々は、人間的視野にたいして文明化された内容でもって枠づけるスタイルを編制したのである。その典型が、市民の教育(パイデイア)であった。ギリシャ人たちは、前代の者たちがプランした制度にパイデイアでもって自らをあてはめていく者のみを、市民として真の人間であると認めたのである。

「容赦なく、わたしたちは世界を耕し、取り扱い、生産し、学校化し、その存在を消滅させようとしている。」(DS)

学習の学校化……人間の自律的な行為が、生産と消費の生活スタイルにかえられ、希望が期待にかえられ、合理的で権威主義的な社会をつくり、人為的な形成を好み、欲求や必要を制度づくりでもって充たすようにした。学習の学校化は、制度的人間を製作する文明である。自然をかえ、社会環境をかえ、人間までもかえる。この文化的レベルで、人間の活動は<産業的活動>である生産労働に独占されていった。生産労働を基盤にして人間の社会的活動は組織されている。<行為>の世界は、贅沢なレジャーか悲惨な失業に変えられた。生産労働に参与できない者は、人間的存在さえ奪われてしまう。


日常生活のなかで、人間相互の固有な関わりあいと自律共働的な道具手段の使用によって導かれる人間本来の<自律的学習>は、目的を設定し、意図的に教え、計画化された訓練に人間が服従する<産業的学習>にかわってしまった。(TC)

社会的には、人間が生産者としてだけでなく、消費者としても役立たずになったとき、その死が同意され認められる。死がいかに思想的に表現されようと、最後の息の根を奪っているのは医療である。死ぬという主体的な行為は、その自己の力を失ってしまった。

死は一生の間対面すべきものから、一瞬の出来事に変化した。一つの全体の終りではなく、連続の途絶となった。

①長く生き残る能力
②死以前に隠退せずにいられること
③不治の状態であっても医療の助けを求めること
によって病気の新しい概念が作られる

「死の医療化を通じて、健康ケアは完全に異質分子のない一枚岩的な世界宗教となり、その信条は義務的学校で教えられ、その倫理的規範は環境の官僚主義的改造に適用される」(MN)

元来、病院とは健康の回復のためでも、健康改善する治療を施すための場所でもなかった。病院に烙印をおし、病気を悪化させ、悲惨さをはぐくむ場所であった。……病院が病気を治す場となるには、病気を一掃するという産業的イデオロギーがうまれてこなければならなかった。

「進んだ産業社会が病気を作成する(sick-making)というのは、それは人々の環境を処理する力を不能と化し、人々が倒れたとき、破壊された<関係性>のために「健康的」補綴で補うのである」(MN)

コスモポリタン的な文明は苦痛を無と化すために、主観的または間主観的な世界から痛みを切り離し、客体化する。痛みは、現在では自然な、形而上的な悪ではなく、人間がつくりだすもので、社会的な呪いと解釈されている。それにつれ、大衆が痛みに打ちひしがれているとき、大衆が社会を呪うことのないよう、その耐え難さをそらすために産業システムは医療的な痛み止めを大衆に与える。より多くの薬、病院、医療サービス、非個人的な諸団体によるケアへの要求に、痛みは変じてしまい、それゆえ人間的・社会的・経済的な根拠には手をふれず、ひたすら成長・発展を政治的に支持する結果をもたらしている。……つまり、人間・社会・経済の変革をするのではなく、痛みをとめる医療ケアを人々は要求するのである。

それでは文化の<意味の体系>における痛みとはどのようなものであろうか。それは、痛みの感覚を挑戦と理解し、その処理を通じて個人の体験を形成するものである。それは、痛みを苦悩へと変容し、耐える力を身につける自己自身に責任をもつ行為である。常に、自身を見いだし、自分の意識的な反応でもって身体についての主観的現実を形づくる。忍耐、寛容、勇気、あきらめ、自己制限、不抜、柔和さ、また、義務、愛、魅惑、日常の仕事、祈り、同情の世界がそこにくりひろげられている。痛みを必然と解し、耐え、治療するのでなく治癒するのが文化である。
 
痛みは遺伝的な所与としてまた刺激の性質や強度から体験されるだけでない。①文化、②不安、③留意、④解釈にも依っている。これらは、社会的決定因、イデオロギー、経済構造、社会的特徴から形づくられるのであって、現代医療のいうように<客観的>な項目ではない。こうした諸要因の規制の中で、文化は、痛みを本質的で、身近で、伝達し得ない、「非価値(disvalue)」と認知する。自律的行為としての使用価値そのものを形作る人間の内界の体系である。

<身体的痛みとは>「内在的で、身近で、伝達不能な、非価値として経験される身体的痛みとは、苦しむ人間が存在する社会的状況で自分自身を見いだす、というわれわれの気づきを含むものである。」
「痛みを悩むという行為は常にひとつの歴史的次元を有する」





「痛みは応答のないあるもののサインである」というイリイチは、孤独の世界で思考する人間と痛みを悩む人間とが類似しているという。「何が悪いのか?どのくらいつづくのか?なぜわたしは悩まねばならないのか、悩むべきなのか、悩みうるのか、現に悩めるのか?なぜこの種の災いが存在し、なぜわたしを襲うのか?」と。
 こうした苦悩する個人の行為は、一率の専門医学的な扱いをうけるようなものではない。鎮痛剤の鎮痛効果で処置できるようなものではない。しかしながら痛みを抹殺する産業的人間は、痛みを感じても、それを悩む能力をなくしてしまうのである。つまり、文化の構造を失ってしまうのだ。

医療発生病は、現実に耐え、それを自己統御する<政治>的自律を奪っているものとして、鋭く照射された。

専門エリートである医師は、同じ人間仲間が適応できない社会状態を批判しないで、むしろ病人となった個人は、「他の専門職者たちがエンジニア化し管理した環境に一致できないのである」(MN)と判定をくだし、可能な限りの適切な復帰対策を個人の病気を治療するために遂行する。病気が実体として認識されるという、その文明の様態それ自体は、このように政治的な安定化の方向づけをもったものである。

イリイチの臨床的医療発生病にたいする指摘は簡潔である。
①医師は治療に有効でない
②医学的治療は役に立たない
③医師の損害はさらなる医療化へと切り替えられている不当行為である
④そこで患者は全く無防備におかれている


医療―文化が人間相互の諸関係に与える形(shape)……それは、弱者、老衰者、幼若者、身体障害者、抑うつ者、躁者といった個人のあり方を動機づけ組織するものである。ある共同社会の弱者にたいして、医学が寛容さをもって非利己的援助を与えるならば、病者の苦悩を有効に弱め、しかもある方の社会的性格を別につくりだすことさえできる。かつての共同社会の文化を、例えば、<贈与関係>なども、産業的に解体することさえできるのである。


医療的諸処置がひとを呪い殺す「黒魔術」にかわるのは、「自己治癒の力を動員する代わりに、病人を気の抜けたものに変え、自分の治療にたいして神秘のベールをかぶせられた傍観者に変えてしまう」ときである。また「病める宗教」になってしまうのは、「病者が自分の苦悩にたいして詩的解釈を求めたり、あるいは、苦しむのを学んでいた人の中に尊敬すべき例を見出そうとするかわりに、病者の全期待を科学とその諸機能に集中させる儀式として、医療処置が実施されたときである。」

「どんな社会であれ、安定するためには、証明された異常が必要である」MN したがって、奇妙な様式や行動のおかしい者は、その共通の特徴が公式的に命名されて、人を驚かす彼の行動の仕方が一般に認められうる整理棚に整理されるまでは、破壊的であるとみなされる。名が付され役割が与えられることによって、変わり者は矯正・馴化されるか、あるいは排除される。


医療発生病とは、
1痛み、病気、死が専門技術的な医療ケアの結果として生じたときに<臨床的>であり、
2健康政策が不健康をもたらす産業的組織化を強化するときに<社会的>であり、
3医学が後押しする行動と妄想とが、人間が成育し、互いに愛し合い、年をとる能力を不能にすることによって、人々の生命力の自律性を制限するとき、あるいは、医療的介入が、個人の痛み、損傷、苦悩、死に対する反応を不能化するとき、<構造的>なものとなる。


健康とは痛みを殺し、病を排除し、生命をひきのばすことではない。痛み、病気、死を人生の不可欠の部分にし、この三者を自律的に処理し闘う能力が、健康という行為の基本であるのだ。人間は意識的に弱さ、個体性、関係づけに生きているため、痛・病・死はさけがたいものなのである。この自分の親しい内奥を管理的な扱いに託してしまうとき、わたしたちは政治的自律性を放棄し、健康を衰退させているのである。

交通

通い=trip
旅行=travel

より多くのエネルギーが輸送システムの手段に投じられると、輸送システムが平等に人々に分配されるのではなく、一部の特権エリートが気ままな旅行の生活時間を制限のない距離をこえて楽しめるようになる。その一方で多くの者は望んでもいない通いをいやいやながらしている他ないという、より巨大化したシステムの中のわずか断片をあちこち移動する存在に変わっていく。少数者の移動空間は魔法のじゅうたんにのった旅行である。一方で、多数者は、より長い距離をより早く移動できる旅行を得るために通いにもっと多くの時間を費やし、この通いで失った時間をとりもどすためにさらにより多くの時間を費やすように強いられる。


速度の加速化がよしとされる根拠は<時間>が交換価値となっているからである。移動に要する時間という存在は、時間それ事態を交換可能で価値あるものに構成し、その価値をより速いスピードによって高めている。「費やされ、セーブされ、投資され、浪費され、雇用され」る時間という言語表現は、時間が商品化されていることの表われである。さらに、時間に価格標がつけられると、加速化によって公正が保たれるという神話が発生する。
 自分の歩く力で動いている者が多いところは、「低開発」と定義されて、高速度の特権をより多くの者に分け与えるのが公正であるというようになる。モーター乗り物の速度によって、発展の度合いが測定される。個人の成功度合いを評価するだけでなkう、国家の発展も速度によって評価される。

1・根源的独占は、より多量なものへのアクセス権を有した者に利となる社会を再編制することによって設立される。
2・それは、すべての者に最小限の量を消費するように強いることで強化される。(なにがなんでも、モーター乗り物を使用するように強いる)


「低装備……各市民に一大の自転車がわりあてられておらず、自分の足で動くよりも五倍の速さでペダルを踏んで移動する条件がそろっていない。また、その道路がよく整備されていない。数時間以上の継続した旅を欲する者に、公的なモーター輸送が無料で与えられていない。」
「過剰産業化……社会生活が輸送産業によって支配されている。それが、階級的な特権を決定し、時間の欠乏を強化し、人々をはじきだす道路網やクルマに彼らをもっと結びつけようとする。」

人間の自律移動は、新陳代謝エネルギー消費という点で、すべての諸活動の土台である。モーター速度道路によって、ある階級からまっすぐ歩く道が奪われ、歩道橋や信号機によって統御されているとき、<安全性>の名の下で社会統制は「足の生活」から「頭の生活」までを貫徹しているのである。クルマが一台も走っていないのに、赤信号に立ちどまって群がっている産業適任g値は、完全に自分の行動を規制されている。それは赤ランプの記号に立ちどまって、政治の危機や生存の危機の赤信号には全く鈍感になっている人間の姿である。


「……文化発展の『最後の人々』にとっては、次の言葉が真理となるであろう。それは『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、かつて達せられたことのない人間性の段階にまで登りつめた、と自惚れるのだ』と」プロ倫

いかなる文化であれ、市場化されない使用価値を中心にして生活が構成されていた。今や自分で為し、自分でつくることはその価値を奪われ、価値を得ることに置換されている。人々が、処理し、遊び、食べ、友人をつくり、愛を交わしていた、そうした「下部構造」の中での生活は破壊され、生産経済的下部構造が土台となってしまった。標準化された商品・サービスが生産され、人々が消費者としてそれを期待し消費し充足するという生活のパターンは、「行為」の使用価値、自律共働的道具を後退させてしまったのである。


豊かな社会では、ほとんどすべての人は破壊的な消費者であり、何らかの形で環境の攻撃に関与し、成長に関する利害の強力な守護神ともなっている。そして、多数消費者は政治的多数者であり、多数者であれば力があるという神話がまた政治的行為を麻痺させている。モーター乗り物を必要とし、子どものために学校を必要とし、医療を要求し、他方で職業に不安を感じている、工場労働者やホワイトカラーやセールスマンや、さらに経営者や資本家までもが、ともに成長を擁護する選挙区の投票者として、なんとなく政治的に均質化されている。中流や中間層の幻想があるのではなく、成長を守る多数者の神話が政治的に構成されているという<政治>の問題で考えられるべきだ。
 したがって、成長に諸限界を設定しようと運動を起こす多数者などは存在しえないのである。

「魔術者や神秘学者を必要とせずに、苦悩と死に直面できる人々は、現在、教師や技術工学者や弁護士や司祭や党官僚によって実施されている期待の諸形態にたいして反乱することができる」

シトフスキーは「幸福は社会的なランキングに依るもので収入の絶対量によるものではない」と結論した。
ここからわたしたちが読みとれるのは、市場集中社会あるいは商品集中社会では、「ランク・ハッピネス」の感覚がつくりだされているという天である。ほとんどの個人的活動は収入を増やし、売りだされている商品やサービスを買い入れるアクセス権をえようとするものである。創造的な活動と非公式的な相互個人関係から由来する本来の満足は消え失せ、前世代よりもより高い「生活標準」を得ることによって満足感が達成されるという仕組みになっている。

フーコー 知と権力/桜井哲夫

フーコーは、カンギレム論の最後の方で、「ニーチェは、真理とは、最も深みのある嘘だと述べた。このニーチェの立場に近くもあり遠くもあるカンギレムなら、おそらく、真理とは、生命の長大な暦の上での、最も新しい誤りだといっただろう」

狂気は、未開の状態では、発見されることはありえません。狂気は、ある社会のなかにしか存在しないのです。つまり、狂気というのは、狂気[とされるもの]を孤立させるような感情のあり方、狂気[とされるもの]を排除し、つかまえさせるような反感(嫌悪)のかたちがなければ、存在しないのです。こうして、中世において、そしてルネッサンスにおいても、狂気は、一つの美学的ないし日常的な事実として社会の視野のなかに立ち現れていたのだと言えます。そして、十七世紀において――ここから監獄が始まります――狂気は、沈黙と排除の時代を経験することになります。

ミリュー
狂気が生まれたのは、人間が、動物たちのような自然に従った生き方を捨て去って、自然の秩序に反するような社会環境・社会的諸関係を作り出したからである。かつて、自然からの警告だの、危険が迫ったことへの身体的、精神的な反応だのととらえられた時代とは違って、狂気は、ある出発点をもって、しだいに、人間をとりまく社会的諸関係・社会環境が複雑に、不透明になればなるほど増大してゆく病理となってゆくのである。

結局、私は十九世紀においては、解釈は、あなたが治療と呼んで理解しているものに確かに近いものだったと考えています。十六世紀では、解釈は、啓示だの救済だのと言った側に意味を見出していたのです。私は、ここで、あなたに、ガルシアという名前のある歴史家の言葉を引きたい。彼は、1860年に次のようにいったのです。「われわれの時代から、健康が救済にとってかわったのである。

「物事を解釈するよりも、解釈を解釈する仕事の方が多く、書物に関する書物の方が多い」モンテーニュ

マルクスは、「価値」について批判的解釈を行い、ニーチェは、ギリシャ語のいくつかの言葉の批判的解釈をおこなった。フロイトは、明確な言葉にならない夢や幻覚を批判的に解釈しようとした。だが、彼らがおこなったのは、言葉に埋め込まれた根本的な真理をとらえるためではなく、われわれが、言語が生み出しているいかなるイデオロギーによって支配されているかということを暴くことなのだった。

フーコーは、言語がなんら特殊なものではなくなった(平準化)結果生まれた最も思いがけない出来事は、「文学」の出現だと述べる。紙の上にひたすら言葉を書くという沈黙の行為、自己以外何も語るものもなく、もっぱら、それ自体のために存在するものとしての「文学」は、まさに、近代の産物である。そして、かつてのように神によって創造された世界というテクストを読み込むというような営為とは無関係に、近代文学は、「出発点も終点も見込みもないままに成長してゆく」(第一部第二章の結びの表現)

十八世紀末以前には、「人間(ロム)」なるものは存在しなかったのである。(……)それは、二百年たらずま絵に、知(学問体系)という造物主(デーミウルゴス)がおのれの手で作り出した、まったく最近の被造物なのである。

フーコーは、カンギレムの「概念の歴史」を忠実に継承しながら、近代の学問体系(知)が設定する「人間」という価値基準が、その裏に「非人間」という存在を前提としていることを暴こうとした



長いこと、ぼくは髪の毛がなくなってゆくせいで打ちのめされていた。だけど、頭を剃ると決めたときから、二度と髪の毛のことは考えなくなったんだ。 とモーリスパンゲに打ち明けた(「徒弟修行の時代」)

社会関係のなかに人が存在して、そのなかで動かされていることを認めず、自律的な存在として自分をコントロールできると思いこむことは、他人をも簡単にコントロールできると思い込むことにつながる。全体主義というのは、そうした自己コントロールの思想の延長上にあると考えるべきである。自己開発だの、自己啓発だのという心理的コントロールが、全体主義的テクニックだというのは、そういう意味である。

知識人の役割は、もはや、誰もが口にしない真理をいうために、「少し前に、あるいは少し横に」位置することではないのだ。それは、むしろ、彼が、権力の対象となり、かつその道具にもされている場所で、権力の諸形態に対して戦うことにあるわけだよ。つまり、「学問体系(知)」「真理」「意識」「言説」といった領域のなかで戦うことなのだが。(ジル・ドゥルーズとの対談「知識人と権力」の中で)

身体刑が残虐だった理由……フーコーは、その要因を、君主という権力が自己を表明する儀式として、処罰はおこなわれたからだ、と述べる。犯罪は、法令を布告する人間(君主)の権利を侵し、傷つける行為なのであって、……傷つけられた君主権を回復する行為なのである。
十八世紀における刑罰改革の骨子は、君主による報復という目標から、社会の掟の擁護という目標への変換とつながっている。……犯罪者が重ねて悪事を働かないように、また悪事を模倣する者が出ないようにすること

「労働は、近代人にとっての神の摂理(proviedence)」

「規格化を行う処罰(サンクション)について」
◇処罰は、以下のような意味合いをもって実行される。
◇わずかなミスでも処罰されることが一般化されることで、子どもに自分がおこなった罪を認識させる。
◇水準に達しないこと、規則からの逸脱など、不適合なものという領域も処罰の対象となる。
◇逸脱をなくすという機能を持つ。個人の欠点の矯正を義務の繰り返しによって行う。
◇処罰は、一方で褒賞(ほめる)という形式と一体になっている。処罰と褒賞の図式は、そのまま個人の評価形成の材料となる。
◇処罰は、逸脱をあきらかにすることであり、能力や適性を明示し、階層序列を正当化するものである。

試験とは、いわば「規格(一定の基準)」を中心とするものの見方であり、個人の能力を量として測定し、資格を与え、階層序列を決める権力の儀式である。そこでは、見られているのは、受験生(臣下)であって、権力者(君主)ではない。受験生は絶えず見られていることになる。そして、それぞれの試験の成績が文書として整理され、個人は「一つの事例(un cas)」として登録されているのである。


①権力は、無数の点から出発し、不規則で一定しない諸関係によって成立するゲームのなかで機能する(見に見え、奪い取れる具体的な実態ではなく、揺れ動く諸関係のなかでそのつど作りだされるものである)。
②権力の諸関係は、経済、学問、性といった減少が生み出している諸関係の外にあるものではなく、そうした諸関係のなかに作りだされているものである。
③権力は、下部からくる。支配するもの、支配されるものという古典的な二項図式は否定される。社会の基盤にある家族や会社、サークルなどの小集団のなかで生みだされる力の関係が、全体を統括する権力関係の基礎となる。
④権力をふるうのは、特定の個人でもなく、特定の司令部でもない。あくまでも、諸関係のなかで、その作用によって権力が行使されるにすぎない。
⑤権力の外部に抵抗があるのではなく、抵抗は、あくまでも権力の内部にある。一つの固定した抵抗の拠点があるのではない。あくまでも、諸関係の網の目のなかで、不規則に発生するのが、抵抗であり、権力は、この不規則な抵抗を完全に排除することはできない。そして、この抵抗点が、戦略に結びつけられて作動したとき(つまり、権力の諸関係の網の目が崩されたとき)、革命が可能になる。

中世においては、「教会―家族」という組み合わせが人々を支配してきたが、現在では、「学校―家族」という組み合わせが人々を支配している。つまり、家族と学校がグルになって、人々を自発的に服従させているのである。

17世紀以来、「生」に対して、権力は、二つの形態で発展してきた。
①人間の身体のアナトモ・ポリティック(解剖学的社会学)
 人間の身体を管理し、調整し、訓育し、社会システムに適応させる。
②人口を形成する住民のビオ・ポリティック(生を管理する政治学)
 住民の出産管理、健康の管理、死亡率の軽減政策、衛生管理など。

かくて、「生に関する権力(bio-pouvoir)」の時代が始まったのだ

「性」は、「生殖=人口増大」と「性的逸脱を規律する規制」の双方に関わる問題であるがゆえに、権力にとって重要性を増したともいえるのである。かつて、「血」は、地位世襲における血筋の尊重、流血による権力維持、血盟などに表されるように、権力を象徴するものであった。だが、近代社会は、こうした「血の社会」ではなく、身体管理と結びついた「性(セクシュアリテ)」こそが、意味をもつ社会となったのだ。だからこそ、性は、過剰なほど語られ、性への欲望は、際限なくかきたてられることになる。
だから、性を肯定するとか、積極的に語るとかは、解放でもなんでもない。むしろ、それは、性への欲望をかきたてている権力の装置(ビオ・ポリティック)にわれわれが、からめとられているという現実を映し出すだけだ。

性(セクシュアリテ)に対する反攻(コントル・アタック)の拠点は、欲望としてのセックスにあるのではなく、身体と快楽(les corps et les plaisirs)なのである。

近代国家は、新しい政治形態のなかに、古いキリスト教の権力技法、すなわち司牧システム(パストラ)を導入したのである。この近代の司牧権力(pouvoir pastoral)は、国家の人口を構成する住民の健康、福祉、安全を守る(現世での救済の保証)システムであり、この結果として、官僚層が増大し、十八世紀にいたって、警察機構が成立した。……

ヘブライのシステム……
①羊飼いは、土地に対してではなく、羊に対して権力をふるう。
②羊飼いは、羊を集め導く。羊飼いがいないと、群れはばらばらになる。
③羊飼いの役目は、自分の羊の群れの救済を確実なものにすること。個別的に羊の上と乾きを満たすべく、気配りをする。
④羊飼いは、羊の群れに対して献身的である。群れの至福のためにどのようなこともする。

古いキリスト教の司牧システム……
①キリスト教では、羊飼い(司祭)は、ヘブライと同じく個々の羊、全体の羊のことを考えねばならなかったが、さらに、個々の羊の行動や彼らが起こす問題すべてを引き受けねばならなかった。
②キリスト教では、羊飼いと羊の関係を個別t系に結ばれた関係であって、しかも個別的な従属関係とみなした。
③キリスト教では、羊飼いは、個々の羊の状態を把握し、内面をもおさえねばならないとされる。そのために、羊たち(信者)の良心を問いただし、教え導く手段を開発した。
④告白、自己糾明などのキリスト教の技術は、個々に自分を責めさいなむ苦行(モルティフィカシオン)を強いる。この世と自分自身への断念を確認させるものである。

近代国家は、新しい政治形態のなかに、古いキリスト教の権力技法、すなわち司牧システム(パストラ)を導入したのである。この近代の司牧権力(pouvoir pastoral)は、国家の人口を構成する住民の健康、福祉、安全を守る(現世での救済の保証)システムであり、この結果として、官僚層が増大し、十八世紀にいたって、警察機構が成立した。……

おそらく、今日、主要な目的は、われわれが何者であるかを発見することではなく、われわれの今のあり方を拒否することである。近代権力構造の個別化であると同時に全体化でもある、この一種の政治的な「二重拘束(ダブル・バインド)から抜け出すために、われわれが何者でありうるのかを想像し、それを具体化しなければならない。
 現代の政治的、倫理的、社会的、哲学的な問題は、国家及び国家の諸制度から個人を解放することではなく、国家と、国家に結びつけられた個別化(individualization)のタイプの両方からわれわれを解放することであると述べて、結論としたい。われわれは、数世紀にわたって、われわれに押しつけられてきた、この種の個人性を拒否することによって、新しい主体性の形態を作り上げねばならないのだ。(「主体と権力」)

フーコーがひとをとらえて離さないのは、個人の苦悩の探求が、社会を知りたいという欲望と結びつきうるのだ、という事実をフーコーが明らかにしたからなのである。

かつて、医者は患者に「どうしたのですか」とたずねた。だが、十八世紀末に、新しいものの捉え方、まなざしが生まれ、「どこが悪いのですか」という問いかけにかわった。……つまり、この問いかけには、病を全身的なものとみなす立場から、人間の身体を「機械のように多くの部品で作られているもの」とみなす立場への変化が語られているのである。

十九世紀以後、女性の身体の管理、子どもの性的行動の管理、生殖行為の管理を通じて、国家権力にとって、(近代的)家族こそが、性的な欲望を生み出し、支え、根付かせる重要な装置となった。したがって、適応できない病者を家族に適応できるようにすることが、精神科医の仕事となるわけである。「性に関する権力(ビオ・ブーヴォワール)」の時代の中で、身体管理と結びついた「性」は重要なものとされ、だからこそ、性への欲望をかきたてるためにも、性は語られ、書かれなければならないのだ。

「完全なる人間」A・H・マズロー

健康人の特徴
   
1.現実の優れた認知
2.自己、他人、自然のたかめられた受容
3.たかめられた自発性
4.問題中心性の増大
5.人間関係における独立分離の増大と、プライバシーに対するたかめられた欲求
6.たかめられた自律性と、文化没入に対する抵抗
7.非常に斬新な鑑賞眼と、豊かな情緒反応
8.非常に頻繁に生ずる至高体験
9.人類との一体感の増大
10.変化をとげた(臨床家は改善されたというだろう)対人関係
11.一段と民主化された性格構造
12.非常にたかめられた創造性
13.価値体系における特定の変化

何人かの分析者、とりわけフロムやホーナイには、神経症でさえ、成長、発達の完成、人間における可能性の実現へと向かう衝動の、歪められた姿と考えないと、理解できないことがわかってきた。

だれに人気があるのか、若者にとって近所の紳士気取りの俗物、カントリークラブの連中となら人気のない方がましである。なにに対して適応するというのか。堕落した文化に対してであるか。支配的な親に対してであるか、よく適応した奴隷をどう考えたらよいのか。よく適応した囚人はどうか。行動問題児でさえ、寛容の精神で見直されている。なぜ非行を犯すのだろうか。大部分は病的な動機からである。だが、ときにはよい動機から出ることもあり、この場合、少年は搾取、支配、無視、屈辱、蔑視に対して抵抗しているに過ぎないのである。

(自己実現した)このような人々は、独立自足的になる。かれらを支配する決定要因は、もはや基本的に内的なもので、社会的なものでも環境的なものでもない。それらは、かれら自身の精神的本性の法則であり、可能性や能力であり、才能、潜在性、創造的衝動である。自己を知ろうとする欲求であり、ますます統合し、一貫したものになろうとする欲求である。さらにまた、現実の自己や理想の自己、自己の使命、職業、運命を自覚するようになろうとする欲求である。

神経症は欠乏の病と見ることができる。したがって、治療のため根本的に必要なことは、欠けているものを与えるか、それとも、患者が自分でこれをみたすことができるようにすることである。これらの供給は、他人から生ずるものであるから、通常の療法は、対人的なものでなければならない。

アリストテレスの理論においては、AはAであり、それ以外のものはすべて非Aで、このふたつは決して一つにならないのである。しかし、自己実現する人から見ると、Aと非Aとは相互に浸透しあい、一体であり、人はだれでも同時に善であるとともに悪であり、男性であるとともに女性であり、大人であるとともに子供である。



人間の成熟の高い水準にあっては、多くの二分法、両極性、葛藤は融合し、超越し、解決される。自己実現する人間は、利己的であると同時に、利己的ではない。ディオニソス的人間であると同時に、アポロ的な人間である。個人的であると同時に、社会的である。合理的であると同時に、非合理的である。人と融けあおうとすると同時に、人と離れようとする、など。

神経症的人間も神のような高い立場から見ると、驚くほど入りくんだ、美しくさえある統一の過程として見ることができるのである。われわれが普通には葛藤や矛盾や分裂と見える事柄も、その場合には避けることのできない必然性をもち、運命的なものとしてとらえられる。つまり、かれが完全に理解されるならば、あらゆる事柄がそれぞれ必要なところに落ち着き、美的に見られ、鑑賞される。かれの葛藤や分裂は、すべて一種の思慮や叡智のしからしめるところであることがわかるのである。その徴候を、健康へと向かう圧力として、あるいは神経症を、その瞬間に個人の問題に対する最も健康で可能な解決方法として見るならば、病気と健康の考え方さえ、融合し、おぼろげになるのである。

至高体験の残効
1.至高体験は、厳密な意味で、症状をとり除くという治療効果をもつことができ、また事実もっている。……それらは非常に深いもので、ある種の神経症的症状をその後永久に取り除くほどである。
2.人の自分についての見解を、健康な方向へ変えることができる
3.他人についての件かいや、かれらとの関係を、さまざまに変えることができる
4.多少永続的に、世界観なり、その一面なり、あるいはその部分なりを変えることができる。
5.人間を解放して、創造性、自発性、表現力、個性を高めることができる。
6.人は、その経験を非常に重要で望ましい出来事として記憶し、それを繰り返そうとする。
7.人は、たとえそれが冴えない平凡な苦痛の多いものであったり、不満にみちたものであったりしても、美、興奮、正直、遊興、善、真、有意義といったものの存在が示されている以上、人生は一般に価値あるものと感じられることが多いのである。つまり、人生そのものが正当なものとされ、自殺や死の願望はそれほどあり得ないこととなる。

「自己を失うことは、どうしてできるのだろうか。気づかれもせず、考えもおよばない変節は、小児期に、人知れず精神的死をもってはじまる――愛されもせず、われわれの自然の願望が妨げられたとしたら、そのときに。(考えても見よ。何が残されているのか。)だがまて――これは精神の単なる殺害ではない。それは帳消しになるかもしれない。ちっちゃな犠牲者はこれを『乗り越えて進み』さえする――だが、かれみずからもまた、次第次第にはからずして、加担するというまったく二重の罪を重ねることになる。かれは、ありのままの人となりとしては、人びとが受け容れてくれない。ええ、人は受け入れられない状態にあらざるを得ないのだ。かれは自分でそれを信ずるようになり、ついにはそれを当然のことと考えるようにさえなる。かれはまったく、自分を断念するようになってしまう。かれが人々にしたがうか、それとも、しがみつき、反抗し、逃避するかはもはや問題ではない。――かれの行動、かれの行為が問題のすべてである。かれの重心は『かれら』にあるのであって、かれ自身にはない――それにもかかわらず、かれが注目したかぎりでは、十分に自然なことだと思っている。すべての事態が、しごくもっともらしく、すべては目に見えず自動的で、責任所在不明である!
 これはまったくの矛盾である。あらゆる事柄が正常に見える。どんな罪も意図されていない。死骸もなければ罪もない。われわれの見るところまったく普通に太陽は昇り、沈んでゆく、だがどうしたのだろう。かれは人々によって拒否されただけではなく、みずから拒んできたのである(かれには事実、自己がない)。かれは、なにを失ったというのだろう。まさに自己のまともな本質的部分、すなわち、成長への能力そのものであり、根本体系であるかれ自身の肯定感情を失ったのである。しかし、ああ、かれは死ななかった。生命は続くし、またそうしなければならない。かれがみずからを断念した瞬間から、それに、そうした程度で疑似自己をつくり、もちつづけようとしはじめる。だが、これは一種の方便である――願望のない『自己』である。この人は軽蔑するところだが、愛さなければならない(おそれなければならない)。弱いところだが、強いとしなければならない。喜びや戯れからではなく、生きるためにはそういう様子をして見せなければならない(ああ、しかしそれは戯画だ!)単に動きたいからではなく、したがわねばならないからである。この必要性は、生活ではない――かれの生活といえない――それは死と闘う防衛の機制である。それはまた、死のからくりでもある。現在以後、かれは強迫的(無意識的)欲求により引き裂かれ、(無意識的葛藤)により麻痺に陥れられ、あらゆる運動、あらゆる瞬間は、かれの存在、かれの統合を打ち消してゆく。しかも終始、かれは正常人としてみせかけ、そのように行動することを期待される!
 一言にしていうと、われわれは一つの自己体系である疑似自己を求めたり、防衛したりする神経症になること、われわれが自己を失うかぎり神経症であることをわたくしは知ったのである。」



いまや、あらゆる事柄が自然に生じ、心ならずして、労せずして、意図せずして、勢いの赴くところ流れ出すのである。いまや、かれの行動は全体的に、欠乏をともなわず、ホメオスタシス的でもなければ、欲求解消的でもない。苦痛や不快や死を避けようというのでもなければ、将来のうちに一歩つきすすんだ目標のためでもない。行動そのもののため以外に他意はない。かれの行動や経験は、それ自体のためであり、それ自体として正当化される。手段行動、あるいは手段経験ではなく、むしろ目的としての行動であり、目的としての経験になるのである。
 この段階でわたくしは、かれを神のような人間と呼びたい。なぜなら、大部分の神は、欲求もなければ願望ももたない。あらゆる事柄について、みたされねばならない欠乏も欠損もみられないからである。「最高」「最善」の神の特質、ことにその行為は、無欲無私によるものと考えられてきた。

人が真実であればあるほど、そのことによって、詩人、画家、音楽家、預言者等々の性格を帯びるようになる

自己実現とは、静的で非現実的で「完璧」な状態であって、そこではあらゆる人間的な問題から超越して、人々が永久に幸福な生活を超人間的な静穏と恍惚のうちにおくるもの、との誤った考え方が広くゆきわたっている。……自己実現は人格の発達と考えることが出来るが、それは、人が未発達からくる欠乏の問題や、人生における神経症の(あるいは小児的、空想的、無益、「非現実的」)問題から脱却し、人間生活の「現実」の問題(それは本質的、究極的に人間の問題であり、避けることのできない「実存」の問題で、これに対しては完全な解決はありえない)に立ち向かい、これに堪え、これととりくむことができるようになることである。つまり、自己を実現するということは、問題がなくなることではなくて、過渡的あるいは非現実的な問題から、現実的な問題へと移ることである。ショッキングにいえば、自己実現する人は、自己を受け入れ、洞察力をもつ神経症者ということさえできると思う。というのは、こういう言い方は、「本質的な人間状況を理解し、受け入れる」こと、つまり、人間性のもつ「欠陥」を否定しようとするのではなく、これと立ち向かい、勇気をもって受け入れ、これに甘んじて楽しみさえ見出すというのと、ほとんど同じだからである。

私の回顧的な印象では、最も完全な人は、多くの時間、日常生活と呼ばれるもの――買い物をしたり、食事をとったり、挨拶をしたり、歯医者へ行ったり、金銭上のことを考えたり、黒靴にしようか茶靴にしようかと考えあぐんだり、つまらぬ映画に行ったり、週刊誌を読んだり――のうちで過ごしている。

どのような動物でも、自由に選ぶことのできる十分な選択場面が与えられると、自分のためになる食物を選ぶことのできる先天的能力が一般に見られる……高等動物や人間の、毒物に対してみずからを守る力は、下等動物に劣る。以前につくられた好みの習慣は、現在の代謝欲求をまったく消してしまうかもしれない。しかしなににもまして、人間においては、ことに神経症的人間においては、この身体の叡智は、まったく失われてしまうほどではないけれども、さまざまな影響力によって歪められているのである。この一般的な原理は、ただ単に食物を選ぶ場合にだけあてはまるものではない。ほかのあらゆる身体的欲求についてもいえる。

神経症の人々の選択は、主として神経症を安定させるにはなにがよいかを示すことができるのであって、それは脳損傷者の選ぶところが、破局的な崩壊を免れるのによいものであったり、腎上体切除をおこなった動物の選択が、健康な動物であることをやめてもかれが死を免れるためのものであったりするのと同じことである。

自分で食物を選ぶニワトリは、自分にとってよいものを選ぶ能力に大きな差異のあることを示している。よい選択者は、まずい選択者よりも強く大きく育ち、支配的になるが、このことはニワトリが最もよいものを手に入れているからである。そこで、もしもよい選択者によってえらばれた食物をまずい選択者に与えると、よい選択者の水準までは達しなくとも、こんどは彼らが強く大きく健康になり、支配的になることがわかるのである。

基本的欲求満足は、往々にして物体、所有物、財産、金銭、衣服、自動車、その他の満足の意味にとられがちである。だが、これらはそれ自体基本的欲求を満足させるものではない。基本的欲求の満足は、身体的欲求がみたされた後には、①庇護、安全、防衛、②家族、コミュニティ、派閥、仲間、愛情、恋愛といった所属、③敬意、尊重、是認、威厳、自尊、④人の能力や可能性の最大限の発達、自己実現の自由、が求められる。このことは、ずいぶん簡単なようにみえるが、やはり世の中どこであろうとも、その意味を会得することのできる人はわずかであるように思われる。

やかましやの能力は使われなければならない。それらがよく使われたときにのみ、そのやかましやはやむのである。つまり、能力はまた欲求でもあるのである。……使われない技能や能力や器官は、病気の中心となり、あるいは委縮したり、消滅したりする。そしてついにはその人格を縮小させることにもなるのである。

精神の疾患を自己実現への成長の阻止、回避、おそれとしてとらえるか、それとも、腫脹、中毒、細菌が人間とは無関係な外部から侵入するのと同じように、医学的な方式で考えるかは、微妙ではあるが極めて重要な相違である。

神経症的欲求や情緒や行為は、人にとって能力の喪失であり、かれはそれをもってまわった不満足なかたちでしか為しえなかったり、為そうとしないのである。そのうえ、かれは大抵、その主観的快適さ、意志、自制心、快感能力、自尊心などを失っている。かれは人間として委縮された存在なのである。





善の研究/西田幾多郎

しかし我々は決して単に決意または解決という如き内面的統一の状態にのみ止まるのではない、決意はこれに実行の伴うは言をまたず、思想でも必ず何らかの実践的意味をもっている、思想は必ず実行に現われねばならぬ、即ち純粋経験の統一に達せねばならぬ。されば純粋経験の事実は我々の思想のアルファでありまたオメガである。要するに思惟は大なる意識体系の発展実現する過程にすぎない、若し大なる意識統一に住してこれを見れば、思惟というのも大なる一直覚の上における波瀾にすぎぬのである。



真の個体とはその内容において個体的でなければならぬ、即ち唯一の特色を具えた者でなければならぬ、一般的なる者が発展の極処に到った処が個体である。この意味より見れば、普通に感覚或は知覚といっているような者は極めて内容に乏しき一般的なるもので、深き意味に充ちたる画家の直覚の如き者がかえって真に個体的といいうるであろう。

我々の有機体は元来生命保存のために種々の運動をなすように作られている、意識はかくの如き本能的動作に副うて発生するので、知覚的なるよりもむしろ衝動的なるのがその原始的状態である。然るに経験の積むに従い種々の聯想ができるので、遂に知覚中枢を本とするのと運動中枢を本とするのと両種の体系ができるようになる。しかしいかに両体系が分化したといっても、全然別種の者となるのではない、純知識であっても何処かに実践的意味を有っており、純意志であっても何らかの知識に基づいている。

知識的作用においては、我々は予め一の仮定を抱きこれを事実に照らして見るのである、いかに経験的研究であっても必ず先ず仮定を有っていなければならぬ、而してこの仮定がいわゆる客観と一致する時、これを真理と信ずるのである、即ち真理を知り得たのである。

知識の深遠となるに従い自己の活動が大きくなる、これまで非自己であった者も自己の体系の中に入ってくるようになる。

一方より見れば種々なる体系の衝突の為、一方より見れば更に大なる統一に進む為、理想と事実との区別ができ、主観界と客観界とが分れてくる、そこで主より客に行くのが意で、客より主に来るのが知であるというような考も出てくる。知と意との区別は主観と客観とが離れ、純粋経験の統一せる状態を失った場合に生ずるのである。

真理は統一にあるというが、その統一とは抽象概念の統一をいうのではない、真の統一はこの直接の事実にあるのである。完全なる真理は個人的であり、現実的である。それ故に完全なる真理は言語にいい現わすべき者ではない、いわゆる科学的真理の如きは完全なる真理とはいえないのである。

「かくなければならぬ」という理性の法則と、単に「余はかく欲する」という意志の傾向とは全く相異なって見えるが、深く考えて見るとその根柢を同じうする者であると思う。凡て理性とか法則とかいっている者の根本には意志の統一作用が働いている、シラーなどが論じているように、公理 axiom というような者でも元来実用上より発達した者であって、その発生の方法においては単なる我々の希望と異なっておらぬ

ショーペンハウエルの意志なき純粋直覚というものも天才の特殊なる能力ではない、かえって我々の最も自然にして統一せる意識状態である、天真爛漫なる嬰児の直覚は凡てこの種に属するのである。

我々の感覚的知識を以て凡て誤となし、ただ思惟を以てのみ物の真相を知りうるとなすのはエレヤ学派に始まり、プラトーに至ってその頂点に達した。近世哲学にてはデカート学派の人は皆明確なる思惟に由りて実在の真相を知り得るものと信じた。

意識が身体の中にあるのではなく、身体はかえって自己の意識の中にあるのである。

我々は意識現象と物体現象と二種の経験的事実があるように考えているが、その実はただ一種あるのみである。即ち意識現象あるのみである。物体現象というのはその中で各人に共通で不変的関係を有する者を抽象したのにすぎない。

余がここに意識現象というのは或は誤解を生ずる恐がある。意識現象といえば、物体と分れて精神のみ存するということに考えられるかも知れない。余の真意では真実在とは意識現象とも物体現象とも名づけられない者である。またバークレーの有即知というも余の真意に適しない。直接の実在は受動的の者でない、独立自全の活動である。有即活動とでもいった方がよい。

普通には主観客観を別々に独立しうる実在であるかのように思い、この二者の作用に由りて意識現象を生ずるように考えている。従って精神と物体との両実在があると考えているが、これは凡て誤である。主観客観とは一の事実を考察する見方の相違である、精神物体の区別もこの見方より生ずるのであって、事実其者の区別でない。事実上の花は決して理学者のいうような純物体的の花ではない、色や形や香をそなえた美にして愛すべき花である。

希臘人民には自然は皆生きた自然であった。雷電はオリムプス山上におけるツォイス神の怒であり、杜鵑の声はフィロメーレが千古の怨恨であった(Schiller, Die Gotter Griechenlands[#「Gotter」の「o」はウムラウト(¨)付き]を看よ)。自然なる希臘人の眼には現在の真意がその儘に現じたのである。今日の美術、宗教、哲学、みなこの真意を現わさんと努めているのである。

実在は自分にて一の体系をなした者である。我々をして確実なる実在と信ぜしむる者はこの性質に由るのである。これに反し体系を成さぬ事柄はたとえば夢の如くこれを実在とは信ぜぬのである。

理は何人が考えても同一であるように、我々の意識の根柢には普遍的なる者がある。我々はこれに由りて互に相理会し相交通することができる。啻にいわゆる普遍的理性が一般人心の根柢に通ずるばかりでなく、或一社会に生れたる人はいかに独創に富むにせよ、皆その特殊なる社会精神の支配を受けざる者はない、各個人の精神は皆この社会精神の一細胞にすぎないのである。

我々が或一芸に熟した時、即ち実在の統一を得た時はかえって無意識である、即ちこの自家の統一を知らない。しかし更に深く進まんとする時、已に得た所の者と衝突を起し、ここにまた意識的となる、意識はいつも此の如き衝突より生ずるのである。また精神のある処には必ず衝突のあることは、精神には理想を伴うことを考えてみるがよい。理想は現実との矛盾衝突を意味している(かく我々の精神は衝突によりて現ずるが故に、精神には必ず苦悶がある、厭世論者が世界は苦の世界であるというのは一面の真理をふくんでいる)。

水を動かすのは水の性に従うのである、人を支配するのは人の性に従うのである、自分を支配するのは自分の性に従うのである

上古における印度の宗教および欧州の十五、六世紀の時代に盛であった神秘学派は神を内心における直覚に求めている、これが最も深き神の知識であると考える。

数理を解し得ざる者には、いかに深遠なる数理も何らの知識を与えず、美を解せざる者には、いかに巧妙なる名画も何らの感動を与えぬように、平凡にして浅薄なる人間には神の存在は空想の如くに思われ、何らの意味もないように感ぜられる、従って宗教などを無用視している。真正の神を知らんと欲する者は是非自己をそれだけに修錬して、これを知り得るの眼を具えねばならぬ。かくの如き人には宇宙全体の上に神の力なる者が、名画の中における画家の精神の如くに活躍し、直接経験の事実として感ぜられるのである。これを見神の事実というのである。

王陽明が知行同一を主張したように真実の知識は必ず意志の実行を伴わなければならぬ。自分はかく思惟するが、かくは欲せぬというのは未だ真に知らないのである。

真実にいえば、意識は決して他より支配される者ではない、常に他を支配しているのである。故に我々の行為は必然の法則に由りて生じたるにせよ、我々はこれを知るが故にこの行為の中に窘束せられておらぬ。意識の根柢たる理想の方より見れば、この現実は理想の特殊なる一例にすぎない。即ち理想が己自身を実現する一過程にすぎない。

孔子「疎食を飯ひ、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす、楽も亦其の中に在り」

人格は単に理性にあらず欲望にあらず況んや無意識衝動にあらず、恰も天才の神来の如く各人の内より直接に自発的に活動する無限の統一力である(古人も道は知、不知に属せずといった)。

自己の真摯なる内面的要求に従うということ、即ち自己の真人格を実現するということは、客観に対して主観を立し、外物を自己に従えるという意味ではない。自己の主観的空想を消磨し尽して全然物と一致したる処に、かえって自己の真要求を満足し真の自己を見る事ができるのである。

我々が実在を知るというのは、自己の外の物を知るのではない、自己自身を知るのである。

善を学問的に説明すれば色々の説明はできるが、実地上真の善とはただ一つあるのみである、即ち真の自己を知るというに尽きて居る。我々の真の自己は宇宙の本体である、真の自己を知れば啻に人類一般の善と合するばかりでなく、宇宙の本体と融合し神意と冥合するのである。宗教も道徳も実にここに尽きて居る。而して真の自己を知り神と合する法は、ただ主客合一の力を自得するにあるのみである。而してこの力を得るのは我々のこの偽我を殺し尽して一たびこの世の欲より死して後蘇るのである(マホメットがいったように天国は剣の影にある)。此の如くにして始めて真に主客合一の境に到ることができる。これが宗教道徳美術の極意である。基督教ではこれを再生といい仏教ではこれを見性という。昔ローマ法皇ベネディクト十一世がジョットーに画家として腕を示すべき作を見せよといってやったら、ジョットーはただ一円形を描いて与えたという話がある。我々は道徳上においてこのジョットーの一円形を得ねばならぬ。

知と愛とは普通には全然相異なった精神作用であると考えられている。しかし余はこの二つの精神作用は決して別種の者ではなく、本来同一の精神作用であると考える。然らば如何なる精神作用であるか、一言にていえば主客合一の作用である。

愛は知の結果、知は愛の結果というように、この両作用を分けて考えては未だ愛と知の真相を得た者ではない。知は愛、愛は知である。たとえば我々が自己の好む所に熱中する時は殆ど無意識である。自己を忘れ、ただ自己以上の不可思議力が独り堂々として働いている。この時が主もなく客もなく、真の主客合一である。この時が知即愛、愛即知である。

宗教以前/高取正男, 橋本峰

新潟県東頸城郡の記録では、明治の初年まで農家の六割までが土間住居で床がなく、土間にワラやムシロを敷いて起居していたのが、大正にはその数は一割となり、昭和の初年に姿を消したといわれている。

われわれの遠い母親たちがこのような制禁に耳を傾けたのも、ただ女は罪障深く、穢れたもの、救われがたいものという教説の力であったとはいえないだろう。ことは土間での別火とおなじであり、月のもののたびに、お産のたびに、神をまのあたりに見なければならなかった心の重荷が、これらの教説や禁制を首肯させ、習俗として固定させたのではなかろうか。

貴族・武家をはじめとする上層支配者階級は別として、庶民の家で男子専制が確立したのはそれほど古いことではなかった。家長と主婦とがひとしく家の神祭を主宰する形は近い時代まで存続していた。

みずからの穢れ(俗)を去って浄(聖)に近づこうとすることと、穢れを避けてみずからの聖性を維持しようとすることと。古代の民間信仰ではこの両面が表裏一体の即自的な統一をもっていたが、また政治的にはこの両面はそれぞれ庶民と貴族と、被支配者と支配者とにおける忌みの考えかたの違いを示すものであった。忌みの思想の歴史は、古代から中世、近世へと、前者の考えかたによる忌みが後者の考えかたによる忌みによって歪曲され隠蔽されてくる過程であることが注意された。したがってそれは、いわば宗教が政治によってねじ曲げられてくる歴史であったともいえよう。

神道には、世界そして人間の心身は本来明るい光の中にあるという存在清浄観があり、人間の罪は穢れにほかならず、穢れは心身の表層につみかさなっただけのもの、物を洗いそそぐ性能ある水によって消除できるものとされ、心身相関の前提の上で身を洗えば心も洗われるとされる。

古代専制政治の体制は必然的に血なまぐさい政争をはてしなくひき起こし、そのなかで破滅するものがただちに人間の生死の問題に直面したのは当然として、その争いはおなじ貴族同士のものであったから、敗者の姿はつねに勝者の分身であり、あらゆる術策によって勝利したものも、勝利のゆえにその重圧を自らの負い目としなければならなかった。こうした事態に対して伝来の神はあまりに貧弱であったから、仏のもつ救済の論理こそが貴族の精神の飢渇をいやすものとして迎えられたのではないだろうか。  こうしてみると、仏教は当初から律令国家を護持するための呪術であるだけでなく、律令国家を完成し、維持しなければならなかった貴族たちに対する救いの呪術であり、宗教であったことになる。

神の世界は偶像も必要でないほど人の世に密着して存在し、仏はその上にあってすべてを照覧するという感覚は、意識するとしないとにかかわらず人びとの心のなかに潜在し、いわゆる本地垂迹の説も、もともとこうした宗教的心情を踏まえて成立し、承認されてきた教説の一つとみることができる。

さらに、重大な問題は明治以来の国家神道である。そしてそれは、今日もなお消滅させえたとはいえず、むしろ強力に復活がはかられつつあるとすらいえる。近代社会は理念的には国家と市民社会とのけじめを立てるものではあるが、日本の近代社会はその両者を未分化のまま融合させてきたといえる。明治以後も一般の人民(ないし市民)は、天皇を現人神と説かれると、昔の共同体の神と同じ意識で、スムーズにそれを受け入れてしまったということがある。国家の命令は神の託宣と同じで、運命的に受容せねばならぬ。これは、日本の宗教一般における「受動性」の、決定的にネガティブな評価をすべき帰結である。何にたいしての「受動性」であるかが自覚的なものにならないのである。そして国家が神のかわりとなれば、当然、国境を越えた普遍的な宗教意識は育たない。ここにも「国家と宗教」の問題の検討が要求されている。

鹿児島県の霧島山西南麓の村々には、外部からカヤカベ(萱壁)教とよばれる隠し念仏の一派が伝えられている。


しかしキリスト教はまた、その真理性の貫徹のために、多神教徒を都会から村(パゴス)に追いやって異教徒(パガニ)として排撃し、また宗教裁判を設けて異端を弾圧せねばならなかった。たとえば、一四〇〇年から一五〇四年までに三万人の「妖術者」が焚殺され、一五七五年から一七〇〇年までに一〇〇万人が罪せられたという(ロニー『呪術』)。

宗教はもともと、機能社会学的にいえば、人間存在の根本的な不条理を特徴づける、さまざまな形での「偶然性」や「無力さ」や「欠乏」に対応してゆくための基本的なメカニズムと考えられる。

日本は島国であるとともに山国であり、内陸部で急に高い山地になっているため河川の流れは速い。それにアジア季節風帯に属して雨が多いため、河川はつねに大量の土砂を流しだしてきた。このことを逆にみれば、時代を遡るほど河川の沖積作用による平野の造成度がいちじるしく低いことになり、現在では国土の二四パーセントが平野といわれるが、その比率は以前ははるかに少なかった。

大和盆地のようにとくに早く開けたところは別として、ひろびろと開けた耕地のなかに集落が点在するという開放的な田園風景は、一般には近世以後に姿を現わした。

村と村が耕地でつづき、そのあいだを一本の畷道が走るという光景は、一般には近世以後のものである。

民族社会が真に求心的性格をもつようになったのは、都市の工業を中心とする近代になってからである。まして社会が点と線で構成されていた時代には、個々の点はそれぞれ独自の世界であり、現代の感覚では僻地と考えられるところでも、以前には思いがけず遠いところと交流をもち、多くの人が往来、移住した例は多いし、逆に「京に田舎あり」ということも事実として存在した。辺境や山間の村がいつも後進・僻地でないと気がすまないのは、現代の都会人の思いあがりによる錯覚である。民族社会内部での文化の交流と発展は、求心的方向だけでなく、遠心的方向でも働いていた。

この近世から明治近代への変動は、いわば「面」の社会から「層」の社会、上下に多層化された面の社会へのそれと考えられよう。領国ごとに一つの面をなしていた封建時代の仕切りは除かれた。

国家神道こそはまさしく現代のタブーである。

もともと死者の霊魂は肉体から遊離したのち、一定の期間は生前の個性を保持するが、その後はしだいに個性を失い、それとともに穢れを去って浄化し、祖先の霊としかよびようのない漠然とした没個性的なものに習合してしまう。そしてこうした祖先霊は、子孫の生活を守るという意味で一種の神性としての性格をもち、年間の定められた時期に子孫のもとを訪れ、祭りをうけるというのが本来の形であった。いつまでも個人を記憶し、墓碑を建ててながく供養しようとするふうは、民間では近世になってようやくはじまったものである。

われわれは山村というと、つねに社会文化の発展に遅れた後進地とみなし、そこに伝承されている習俗はすべて古風を残すものと考えやすい。けれども、これは現在の常識を無反省に過去に投影するものであって、はなはだ危険な態度である。近代以前にあっては、山間の村落でも平地に負けないほど人の往来があり、手工業原料を山野で採集したり生産して、貨幣の流通も平地に負けないくらいであった。平地の村と山の村との落差が顕著になったのは近世以降のことで、近代になってそれが決定的なものになった。

柳田氏のこのような意見は、もはや民俗の客観的な解明であるよりも、明治の家父長制をよしとする、官僚的な保守主義者の個人的心情の表明であり、しかもこのような心情が『先祖の話』を内容的にも支配していると考えられるのである。

津田説は、民間信仰を直接に問題にしたものでなく、記紀など朝廷の文献、神道学者の書物を検討して立論されたものであるけれども、人を神に祭ることは日本の古来の風習ではなく、たとえ特定の英雄を神として祭ることはあっても祖先を神として祭ることはなく、そういう説はたかだか江戸時代の神道家によって作られたにすぎぬという。

津田氏はこの神の観念、神社の起源を自然崇拝にみようとしている──津田氏の解釈では、氏神は祖先が祭ったものであって、祖先である人を祭ったものではない──といえるが、むしろこれが日本の神道研究者の通説であって、柳田氏の祖霊説は独自の少数意見なのである。

生と死とは連続的であり、この世とあの世とは親しくあい通じている。肉体は穢らわしい形骸にすぎず、死によって肉体から解放された霊魂は、一定期間を過ぎると、個性を洗い流されて抽象化された一般霊、祖霊となり、年間定期に祭られるために子孫のもとを訪れる。私たちの先祖は人間の生死を大体このように考えていた。

ギリシアで、厳密な意味の霊魂不死の思想は、まったくトラキア地方のディオニソス崇拝における神秘的体験によって成立したといわれる。エクスタシーの状態で神との合一、神がかりを体験した以上、霊魂は本性上神的実在であり、それは肉体から独立し対立する原理と信じられたのである。

ギリシアにおいても民衆的宗教は、なによりも祭りを意味し、国家的ないし民族的な年中行事を意味したが、それが私的生活に立ちいった場合でも主として伝承・習俗を意味するにすぎなかった。生の革新、内面的転回の宗教をはじめて主張し、はじめて実行したのがオルフィク教徒である。

ラフカディオ・ハーンが、死者の支配、家父長制、祖先崇拝など日本の古い民俗の中に、彼の母方の母国ギリシアの古代宗教への思慕を投影させたことは、よく知られているが、日本のみが近代までそのような観念をほぼ原型のままに維持し、個人の魂の救済と祖先崇拝とを両立させてきた特異な国なのであった。ヨーロッパはやがてキリスト教の霊魂観で洗礼されなければならない。

ギリシア人にとって、時間を超え解脱にいたる自己はもはや個性をもった自己ではない。それは神的知性として、没個性、超個性的なものである。ところがキリスト教ではそうではない。キリスト教において、個々の霊魂が死後、ギリシア哲学的な普遍的霊魂、知性へ帰一すると説く者は、異端としてきびしく斥けられる。なぜなら、この説を認めれば死とともに人間の罪は消え、最後の審判は無意味になってしまうからである。霊魂はそれぞれの個性を帯びたまま最後の審判を待つ。





禅の語録における坐禅関係と葬祭関係のページ数の比重は、臨済・曹洞いずれも一三世紀前半にはほとんど一〇〇パーセントが坐禅に関してであったものが、一四世紀には葬祭へと逆転し、曹洞では一五世紀にはほとんど一〇〇パーセント葬祭宗教化している。

近世以後の世界は「分裂」をもってその特徴としている。第一には、諸民族の政治的分裂。各国家の内部においては、封建的割拠から中央集権的統一へと進んだが、世界の普遍的統一ということからいえば、中世世界から近世以後の世界へは、いわゆる近世国家の分立、そしてさらに現代にみられるそれら先進国家の各植民地の独立によって、いぜんとして政治的中心の分立こそ近世以後の世界を特徴づけるものである。第二には人間と自然との交渉がもっぱら技術的なものとなり、両者の間にするどい分裂と対立が生まれている。

宗教と科学との関係は、カトリック教会の教理と科学的真理との矛盾の問題として、したがってガリレイの審問と受難の典型的な例におけるごとき、教会による科学者の迫害の歴史として、もっぱら論じられる。しかし、近世科学の成立の地盤そのものに一種の宗教的精神が内在していたことが、むしろ重視されなければならない。近世科学は、いわゆるルネッサンスの人文主義(ヒューマニズム)の中からけっして成立しえたものではなかった。そして問題を原理的に考えるかぎり、今日においても事態は同じはずなのである。

自然にアニマや意志はなく、それはもっぱら人間のみの性質であると考える態度が現われるまでは、自然にたいする科学的技術的な態度は不可能である。アニマを追放することによって自然は客観的法則的になる。したがって、アニミズムや多神教が一神教のキリスト教によって追い払われた西ヨーロッパにまず科学的自然観が成立したことは、けっして偶然ではなかった。

すでに原始宗教についてフレーザーが、呪術における失敗が宗教の生まれた理由とみなしているように、自然からの呪術性の排除が科学的自然の成立であったように、呪術の自己中心性の否定が宗教を誕生させたのである。

地獄は克服できる/ヘルマン・ヘッセ フォルカー・ミヒェルス編

私たちは読みながら、たえずあこがれと羨望の念を抱く。「この人たちには暇があるのだ!」。そう、たっぷり時間があるのだ!この人たちはひとりの美女の美しさを表現したり、あるいはひとりの悪漢の卑劣さを描写したりするための新しい比喩を考え出すのに、一昼夜をかけることができるのである。……かれらのは底なしの泉からくみ上げるように時間をくみ上げる。この場合、一時間とか一日とか一週間の損失はたいしたことではない。

病気と、待たなければいけないという状態とは、どんな場合でも私たちに、はっきりとした教訓を与える。とりわけ私たちはすべて神経症の苦痛からとくに強烈な教育を受ける。異常なほどに謙虚な優雅さと、優しい思いやりの気持ちを態度や言葉で表す人を見て、人々は「あの人はひどく苦しんだに違いない」と言うことがある。不眠の夜という学校ほど、自分自身の肉体と考えを制御する能力をよく磨き、養ってくれる学校はほかにない。

人を優しく扱い、いたわることができるのは、自分自身も同じように優しく扱われたいと望む人だけである。物事を寛大に観察して、愛情を込めて比較検討し、ひとりの人間の行動ないし性格の心理的原因を洞察し、人間のもつ弱みをことごとく好意的に理解できるのは、しばしば孤独なときの容赦のない静けさのなかで、自分自身の奔放な想念のとりこになって苦しんだことのある人だけである。多くの夜を眠られぬままに、静かに横たわったことのある人を、日ごろ見分けることはむずかしくない。

私たちの生活の構成要素である行為と苦悩は、補い合って一体をなし、不可分の者である。……それゆえ上手に悩むコツを覚えたものは、生きることに半分以上成功したこと、いや、それどころか、完全に成功したことになる!……苦悩から力が湧き、苦悩から健康が生まれるのだ。突然倒れて、ささいなことが原因で死んでしまうのは、いつもいわゆる「健康な人」であって、苦しむことを学ばなかった人々である。苦悩は人を強くし、苦悩は人を鍛える。

毎朝空が白み
世界が冷ややかに敵意を込めて見つめるたびに
おまえの信頼はただお前自身だけに
向けられねばならぬことを知る

けれどなじんでいたよろこびの土地から
おまえ自身のなかに追放されて
おまえは知る おまえの信仰が
新しい楽園に向けられていることを

おまえになじみなく敵と見えたものが
おまえ固有のものであることをおまえは知る
そしておまえはおまえの運命に
新たな名をつけ それを甘受する

おまえを押し潰そうとしたものが
おまえに好意をみせ 精気を放つ
それは案内者であり使者であり
おまえを高く より高く導いてくれる



私は著作を通して、ときおり若い読者たちが混乱状態に陥るところまで、つまり彼らがたった一人で、よりどころとなる慣習なしに人生の謎と対決するに至るまで力を貸しました。そのほとんどの人にとって、そのことはすでに危険なことです。そして、それゆえに、ほとんどの人々がその状態を回避して、新しい精神的支柱となる人間関係やよりどころとなる人々を捜し求めます。無秩序の中に踏み込んで私たちの時代の地獄を意識して体験する精神力をもつひじょうに少数の人々は、「指導者」なしに自力でそれをやりとげます。私の著書は、読者がそれを望むなら、私たちの時代のさまざまな理想や徳目の背後にかくれた無秩序を見抜くところまで読者を導いてゆきます。この無秩序が解決できるという、つまりこの無秩序に新しい秩序を与えることができるという予感は今日ではもう普遍性をもつ「教義」になることはできません。この予感は、各個人がそれぞれの筆舌につくしがたい体験を通して心の中で実現するものです。

絶望は、人間の生活を理解し、それを正当化しようとするあらゆる真剣な試みの結果生ずるものです。絶望は、人生を、徳をもって、正義をもって、理性をもって耐え抜き、そのさまざまな要求を満たそうとする真剣な試みの結果生ずるものです。この絶望を知らずに生きているのが子どもたちであり、この絶望を乗り越えたところで生きているのが目覚めた人たちです。

没落などという者は存在しない者です。没落とか上昇とかが存在するためには、上とか下とかがなくてはならない。けれど、上とか下とかいうものなど存在しないのです。それはただ人間の頭の中に、つまり錯覚のふるさとにだけあるものなのです。すべての対立は錯覚なのです。白と黒も錯覚、死と生も錯覚、善と悪も錯覚なのです。あなたには没落と見えるものが、私には誕生と見えるかも知れません。どちらも錯覚なのです。地球が空の中の不動の円盤だと信じる人が、上昇とか没落だとかを見たり信じたりするのです。――そしてほとんどすべての人がこの不動の円盤を信じているんです!星そのものは、上も下もまったく関係ありません。

つまり私たちは、せめてただ一度だけでもすべての価値基準を退けて、あるがままの自分自身を、道徳とか高潔な心とか、すべての美しい外観を考慮せず、無意識が表明するままに、自分のむきだしの衝動と願望、自分の不安と苦痛にとらわれた私たち自身をよく見つめてみるべきである。そしてその地点、このゼロの地点から始めて、私たちは実際の生活にとって価値のあるものの目録をつくり、私たちの実際の生活にとって否定すべきものと肯定すべきもの、善いものと悪いものとを分け、私たち自沈に大して命令すべきものと禁止すべきものの表をつくることをふたたび試みなくてはならない。

冷たいネオンの光に照らされた、一見、完全な意識と理性の領域へ通じる道があります。しかしこの領域を通り過ぎた者は、ふたたび自然の支配する土地、ふたたび暖かい領域、ふたたび素朴と愛の領域に戻ります。この冷たい領域から逃避することによってではなく、この領域を超克することによって、それらのものに到達することができるのです。これらのものはまた、手に入れても失われることがあるでしょう。そしてまた手に入れることができるでしょう。