「書くことについて」スティーヴン・キング

ひとつここではっきりさせておこう。小説に関するかぎり、アイデアの集積所も、ストーリーの中央駅も、埋もれたベストセラーの島も存在しない。いいアイデアは、文字通りどこからともなくわいてくる。(中略)われわれがしなければならないのは、そういったものを見つけ出すことではない。そういったものがふと目の前に現れたときに、それに気づくことである。

小説家でも詩人でも、作品が世に出れば、いつもかならず才能の浪費だと批判されるものだ

いい文章というのは、ひとを酔わせると同時に思案にふけらせる

死を書く行為は、神話的な啓示の瞬間と同様、床掃除とも多くの共通点を持っている

ヘミングウェイやフィッツジェラルドが酒を飲んだのは、想像力に富んでいたからでもなければ、阻害されていたからでも、精神的に弱かったからでもない。アル中というのは、飲むようにできているのである。

ものを書くときの動機は人さまざまで、それは焦燥でも良いし、興奮でも希望でもいい。あるいは、心のうちにあるもののすべてを表白することはできないという絶望的な思いであってもいい(中略)動機は問わない。だが、いい加減な気持ちで書くことだけは許されない。繰り返す。いい加減な気持ちで原稿用紙に向かってはならない。

”ウィリアム・ストランクの見るところ、たいていの場合、読者はトラブルに見舞われている。なかには、沼でもがいている者もいる。書き手の務めは、早く泥の水を抜いて、彼を助け出すことである。それが無理なら、せめてロープを投げるくらいのことはしなければならない。”『英語文章ルールブック』

副詞は臆病な作家が好んで使う。
地獄への道は副詞で舗装されていると、私はビルの屋上から叫びたい。

作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。私の知る限り、そのかわりになるものはないし、近道もない。

読書は作家の創作活動の中心にある。

仕事場に入るときは、その日の目標を決めておいた方がいい。

創作活動はウイジャ・ボードの占いでもないし、霊媒の口寄せでもない。配管工事や長距離トラックの運転と同じ肉体労働だ。

なんらかの問題意識やテーマにもとづいて書くというのは、駄作のレシピである。

最愛のものを殺せ。たとえ物書きとしての自尊心が傷ついたとしても、駄目なものは駄目なのだ。

公式――二次稿=一次稿マイナス10%

私が書くのは悦びのためだ。純粋に楽しいからだ。楽しみですることは、永遠に続けることができる。
私にとって、書くという行為はときに信仰であり、絶望に対する抵抗である。